馬毛島 2021年10月11日

馬毛島

今日の馬毛島です。

以下は南日本新聞社さんより

【馬毛島案の源流 FCLP移転計画(1)36年前の転機】大統領案件に格上げ 「ロン・ヤス」首脳会談で直談判

10/11(月) 11:00配信

南日本新聞

NLP代替地が議題になった日米首脳会談を伝える1985年1月4日付の南日本新聞朝刊1面

 西之表市馬毛島が2プラス2の共同文書でFCLP移転候補地に示されて10年。これまで関東から瀬戸内海、九州の候補地が浮かんでは消えてきた。沖縄県の米軍基地問題と並び、「陰の難関」(政府関係者)とされてきた移転計画の源流をたどる。

✲✲✲  訓練代替地の早期確保をよろしく頼む-。36年前の1985(昭和60)年。1月2日に米ロサンゼルスであった日米首脳会談。ロナルド・レーガン大統領は中曽根康弘首相に、米軍空母艦載機の夜間離着陸訓練(NLP)への協力を直談判した。  現在、より広義の陸上離着陸訓練(FCLP)に置き換えられるNLP。米国が日本に空母を配備して以降、求め続けてきた施設が“大統領案件”に格上げされた瞬間だった。  「首脳会談級で特定の施設が求められるのは極めて異例」。複数の防衛省幹部は口をそろえる。米軍の運用への影響が限定的な米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に比べ、FCLP施設は空母運用に必要不可欠で日米同盟の維持に欠かせないというわけだ。  ただ当時の新聞各紙は首脳会談を報じても、大統領が早期の施設確保を求めたことにはほとんど触れていない。南日本新聞は1面トップで首脳会談を掲載。横には地方自治に関する連載があり、くしくも馬毛島への国家石油備蓄基地計画を取り上げている。国策に翻弄(ほんろう)され、この島がFCLP移転候補地になるとは知る由もなかった。

■基地の公害  FCLPは陸上の滑走路を空母甲板に見立て、着陸と離陸のタッチ・アンド・ゴーを繰り返す。パイロットが空母で行う資格取得訓練(CQ)前に欠かせず、空母運用とは切っても切り離せない。  実際、米側の要求は首脳会談をさかのぼる73年10月、空母ミッドウェーが横須賀基地(神奈川県)を母港とした時から始まった。  防衛研究所の資料によると、入港3日後には米軍三沢基地(青森県)で夜間訓練を行った。山中貞則防衛庁長官(当時)は直後の国会で「基地の公害は増えると思う。その点は十分に配慮してまいりたい」と答弁。騒音被害の拡大を見越しながら、訓練の必要性をにじませている。 ■浮上と頓挫  米側は岩国基地(山口県)でも行ったが、距離が遠いなどとして関東での代替地を求め続けた。82年2月には厚木基地(神奈川県)で初めて実施。普段から騒音に苦しんでいた住民の反対運動が激化する。同年9月、米国防長官は代替基地確保を公式要請。防衛庁(当時)は翌年度から本格調査に着手した。候補地が漂流する始まりだった。

 米側の要求は厚木から約180キロ以内。候補地に百里(茨城県)、下総(千葉県)、木更津(同)、浜松(静岡県)の自衛隊基地が取り沙汰され、ここでも地元が猛反発した。日本側が基地を選定できず、米高官が要請する-。こうした流れが何度となく繰り返され、大統領の“異例の直談判”に至った。  冒頭の「ロン・ヤス会談」から約四半世紀を経た2011年6月、日米安全保障協議会委員会(2プラス2)の共同文書にFCLP移転候補地として馬毛島が明記された。防衛省幹部らは異口同音に語る。「FCLPは候補地の浮上と頓挫の歴史。もう馬毛島以外に適地はない。やっとたどり着いた場所だ」

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