今朝の馬毛島です。
朝7時頃に撮影しました。
馬毛島関連ニュース
以下はMBC南日本放送さんより
馬毛島 加速する基地計画 元島民の複雑な思い
3/7(月) 19:50配信
MBC南日本放送
鹿児島県西之表市・馬毛島への自衛隊基地の整備とアメリカ軍の訓練移転を巡っては、国が島を整備地に決定し、基地工事の入札手続きを進めるなど、動きが加速しています。
そうした動きを、かつての島民は複雑な思いで見つめています。 西之表市で漁業を営む山下六男さん(83)です。
西之表港を出港し、漁船でしばらく進むと、起伏が小さく平坦な島の姿が見えてきました。山下さんがかつて暮らした馬毛島です。
(山下さん)「何度来ても懐かしいな。この辺りはイセエビがいっぱいとれたところ。最近は全然とれない。何もかもいなくなってしまった」
種子島の西・12キロにあり、面積8平方キロメートル余りの馬毛島。戦後の食糧難だった1950年代、19歳だった山下さんは国策の開拓団として、家族で西之表から馬毛島に移り住みました。
島では最盛期の1959年には528人が暮らし、小中学校もありましたが、その後、農業の不振や子どもたちの高校進学などで人口は減少。1980年、無人島になりました。 山下さんは、1978年に40歳で離れた後も身近な存在であり続けたという馬毛島を案内してくれました。
(記者)「馬毛島の葉山港に到着しました。ここは市の市有地ですが、ここから先は国などの所有になっていて立ち入ることができません」 港から見えたのは、コンクリートの岸壁、開発会社の建物、そして基地整備に反対する漁師らが立てた看板。そして、生い茂った草木の間から島に生息するマゲシカの姿も見られました。また、かつて人々が暮らしていたころの建物も残っていました。
(山下さん)「これは馬毛島丸(定期船)の切符販売所。こっちは漁師の網小屋(作業場)あの小屋で遊んだり、海の話をしたり、たまには酒を飲んだりしていましたよ」 自分たちで作ったかやぶきの家に暮らし、さつまいもやサトウキビを育てたり、海で漁をしたりして自給自足の暮らしをしていた山下さん。20代で結婚して4人の子どもに恵まれました。
(山下さん)「水道も電気も無かった。最初来た時は。不便だったけどな。
(Q.つらいこともあった?)何も娯楽はなかったけど、毎日海に出て漁もあったし」 当時はトビウオやイセエビなどが豊漁だったといいます。
(山下さん)「海きれいですよ。ここは最高。昔は宝島。漁師たちはこの島で子どもを大きくしたわけだから」 「宝の島」だったという馬毛島。しかし、山下さんたちが離れた後、40年余りの間に石油備蓄基地やレジャー施設の計画が浮上。いずれも立ち消えになりましたが、今、自衛隊基地の整備が計画され、山下さんの自宅があった場所は国有地となっています。
(山下さん)「(Q.自宅があった場所に立ち入れないが?)人(国)が買ったところで仕方ないといえば終わりだけど、私なんかが反対・賛成と言ってもどうもできないし」
妻のハツヨさん(82)です。馬毛島で20年ほど暮らした頃の写真を大切に持っています。 「苦しみも楽しみもあったが、今思えば懐かしくて」 かつて暮らした馬毛島で加速する自衛隊基地整備の動き。島が大きく変わってしまうことへの戸惑いの一方で、種子島の活性化につながるかもしれないとの思いもあります。
(山下さん)「元のまま島を置いておけたら一番いいが、そんなことばっかり言っても生活が第一。魚をとっても食べる人がいないわけだから」
(ハツヨさん)「私なんか先はないけど、若い人が今からね。寂しいけどこっから島が見えますから。いつも眺めていますから」 かつて馬毛島で暮らした夫婦は、複雑な思いで島を巡る動きを見つめています。
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